「普通」と「天才」という言葉をよく使ってしまうという心当たりのある方はぜひご覧ください。
「普通」と「天才」という言葉、みなさん使われますか?
この二つの言葉、とても便利だとは思うのですが、私は自分の人生に価値をもたらす言葉とは思えないため、なるべく使わないようにしております。
今回はそんなお話をしてみようと思います。
目次
「普通」と「天才」という言葉を使うと便利な理由
「普通」という言葉を使うと
「普通」という言葉を使うと、自分の意見があたかも世の中の総意であるかのように発信できますよね。
「普通はこうなんだから、あなたもそうするべき」
「これくらい全然普通だって」
「そんな行動をする人は普通じゃない」
便利ですね。
「普通」という言葉を使うだけで自分がまるで正しいかのように聞こえます。
「天才」という言葉を使うと
「天才」という言葉を使うと、自分の努力不足を認めなくて済みますよね。
「あの人は天才だからあんなことができるのよ」
「自分は天才じゃないから、頑張っても無駄」
「うちの子は天才じゃないからそういうことは必要ない」
便利ですね。
「天才」という言葉を使うだけで、何かをやらない理由が簡単に作れます。
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「天才」と「普通」という言葉を使っても自分の人生は向上しない
上述したようにどちらの言葉もとても便利だとは思いますが、はたしてそれらを利用していて人生が向上するでしょうか。
「普通」という言葉が癖付いてしまうと
「普通」という言葉が癖付いてしまうと、自分と他人、個人的見解と世論の境界線が曖昧になってしまうと思います。
自分の考えが多数派なのか少数派なのか。仮に多数派だとして、自分とは違う人もいるということを忘れてしまわないよう意識することは大切です。
そこが曖昧であると、決めつけをしてしまったり、誤解をしてしまう原因となってしまうこともあると私は考えます。
また、思い込みが強い人が「普通」にとらわれることにより、「普通の人は起業なんてできない」「普通の子どもはそんなことしない」と、自分やお子さんの可能性を自ら狭めてしまう可能性があります。
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「天才」という言葉が癖付いてしまうと
「天才」という言葉が癖付いてしまうと、何かと諦め癖がつきやすくなってしまうと思います。
例外的に、「自分は天才ではないから、努力が必要だ」と考えられる人でしたら問題はないと思います。
しかし、「あの人は天才だから」と、その人の努力を見ようと(想像しようと)しない人は自分に都合の良いところしか見ないということに他なりません。
それでは、自分の人生を向上させるのが難しくなると思います。
自分より優れた能力を持つ人というのはいくらでもいますよね。
私自身もピアノを弾いていて、自分より遥かに上手な人というのは数え切れないほど見かけます。
しかし、そこで「そういう人は天才だから」と思ったところで何も解決しません。そんなことを思うヒマがあったらさっさと練習した方が少しでも上達します。
人によって、生まれ持った能力(や幼少期に培われた能力)を持っているケースというのも事実としてはあると思いますが、それが自分より努力をしていないことには繋がりません。
確証を持てないことを決めつけて、努力をしない理由にするのはもったいない行為ではないかなと私は思います。
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最後に
人生を向上させたいなら、自分の辞書から「普通」と「天才」という言葉を捨ててみてはいかがでしょうか。
それにより、自分は自分という気持ちが強くなり、自己肯定感も高まると思います。