この記事では、ギフテッドチャイルドが授業で退屈を感じ、それが苦痛になり「無気力症候群」になってしまった過程とその理由をご紹介しております。
ギフテッドのこども(主に高IQを持つこども)についての記事を見ると、「授業が簡単すぎてつまらない」といった話題をよく目にします。
そこで、今回はこの授業に関して、当事者の目線で当時の思いを書いていきます。
ギフテッドって何?という方はこちらの記事【ギフテッドとは】をご参考ください。
目次
学校の授業はつまらないのではなく苦痛
もし当時(小学生の頃)、「学校の授業はつまらない?」と聞かれたら「うん、つまらない」と答えたと思います。
ただ、今ならわかるのですが、これだと答えとしては足りないですね。
大人の私があのときに戻って答えるとしたら、「学校の授業は簡単すぎてつまらないのに、他のことしたら怒られるし、寝ても怒られる。何もしないで毎日何時間もずっとそこに座っていなきゃいけないのが非常に苦痛。まるで拷問のようだ。」と答えるでしょう。
「学校の授業が簡単でつまらない」というのは一般的な感覚として「羨ましい」とか「生意気だ」と思われるだろうなということは想像できます。
ただ、当人としては「そういう度合いではない」というのが正直な気持ちかもしれません。
このままだと生意気な性格の問題だと言われてしまいそうなので、ちゃんと理由をご説明いたしますね。
当時(小学生の頃)の私は映像記憶という特徴を持っていたこともあり、教科書を見たらそのまま映像として覚えることができました。いや、正確には覚えるというよりも映像として思い出すことが自由にできたという方が正しいですね。
とくに覚えようとしていなくても、思い出せる。例えるなら自分が目にしたものがスマホの写真アプリに自動保存されていて、見返したいときにいつでも見れるといった感覚かなと思います。
映像記憶についての詳細についてはこちら【映像記憶とは?元保持者が身に付ける方法を考えます】
そうなると、テストのときはただ映像記憶を思い出してそれを見て答えをかけばいいだけなのです。簡単というのもイメージできますよね。
また、家庭内で数学の基礎力を磨いてもらっていたこともあり、暗記科目はもちろんのこと算数などの非暗記科目も得意だったため、どの授業も非常に退屈でした。
ちなみに、数学の基礎力を磨く方法はこちらの 【IQを上げる具体的な方法24選!体験談を交えてお伝えします】でご紹介しております。 興味のある方はご覧ください。
「退屈は人を殺す」という言葉がありますが、この退屈が続く、強制させられる状況は非常にストレスがかかります。
ひとつ、今のあなたが小学生の授業に強制参加させられることを想像してみてください。
その授業はスマホを取り上げられて寝ることもできません。席を立つことも他のことをすることもダメです。黙って小学一年生向けの授業をずっと聞き続けなければならない。それを平日は毎日何時間も強制参加させられるのです。
いかがでしょうか、結構しんどそうじゃないですか? 授業は拷問のようだと私が思う理由はこういったことにあります。
今となっては、そんな授業出なきゃいいじゃんと思うのですが、当時の私にそんな選択肢はありませんでした。
いくら特殊な能力があったからといえ小学生です。当時の私には言われた通り授業を受けるということ以外の選択肢はなかったのです。
しかも無駄に皆勤賞だったこともありその苦痛は卒業まで続いていました。
不登校にならなかった理由
そんな中、私が不登校にならなかった理由はお友達にあります。
幸か不幸か、どちらかというと自分の興味が内側に向くタイプだったので、人のことはあまり気になりませんでした。
そのおかげか、他人と比較することがなかったのもあり、友人関係は良好だったのかなと思います。今でも小学生の頃のお友達と毎年忘年会をしているくらいには仲が良いです。
今思うとつまらない授業は友達と遊ぶための試練という感覚すらあったかもしれませんね。
もし、友人関係に恵まれていなかったら確実に不登校になっていたと思います。断言できます。
当時は特別なことだと感じていませんでしたが、今となっては自分はとても運が良かったのだなと思います。
無気力症候群へ
ただ、それでも無理をして授業を受けていた反動なのか、高学年になる頃には、何をするにもやる気が出なくなってしまいました。
小さい頃は自分にとって映像記憶は誰もが持つものだという感覚(特別なものではないという感覚)だったのですが、ある程度成長してくると、自分だけの特徴なのだと気付きます。
当時の私は、自分がなんだかズルをしている感覚になってこの能力が嫌になり使うこと(映像記憶として思い出しすこと)をなるべくしないようにしていた記憶があります。
不思議なことに、いや当然なことかもしれませんが、人間使わない能力は劣化していくのか、高学年になる頃には映像記憶もだいぶ薄まってきたと思います。
そして、それと同時にいろんなことへのやる気が無くなってもきました。
中学生の頃にはそのやる気の無さもピークを迎え、やる気のない人といえば?と周りの人に聞いたら自分の名前が出てくるような存在だったと思います。
当時は何をするにも全部面倒だという気持ちだったのですが、後にその理由が無気力症候群によるものとわかります。
無気力症候群(むきりょくしょうこうぐん)
意欲が低下したり、自発性が低下したり、感情の起伏が小さくなったり、周囲に無関心になったりするような無気力な症状を呈することを「無気力症」「無気力症候群」「アパシー・シンドローム」といいます。これらの反応は、強いストレスから心を守るための逃避行動だとも言われています。
e-ヘルスネット
こちらの説明にある通り正に強いストレスから心を守るための逃避行動だったのだと思います。やる気のある状態でのあの授業はさらに辛さが増していたということは想像に難くないですからね。
高校生にもなると自分の意志で動けるようにはなってきていたので、授業はサボり一人で近所の図書館へ行って本を読んだり映画を見たり、家で昼寝をして過ごすことが増えていました。
そのおかげかストレス値は低くなったと思いますが無気力症候群はまだ続いていました。
その後、とある人との出会いで無気力症候群は改善して人生が好転します。詳しくはこちら→【[無気力症候群]やる気ない人間が人生を楽しむようになったきっかけ】
まとめ
繰り返しますが、当時の私は、友人関係に恵まれていなかったら確実に不登校になっていたと思います。
しかし、不登校にはならなかったものの、無気力症候群にはなってしまいました。
もちろん20年以上も前の話なので、当時と比べ環境や選択肢はだいぶ変わっているとは思います。
ただ、「授業が簡単すぎてつまらない」という話を見ると、もっと深刻なケースも多いのではないかとも思ってしまいます。
もし、お子さんをお持ちの方で、お子さんが「授業がつまらない」と伝えてきたときは、一度この話を思い出して、ちゃんとお話を聞いてあげてみてください。
今は昔よりギフテッド教育に力を入れている学校もあると聞きますし、自分の幼少期と違いネット環境も充実しているので、学校へ行かなくても簡単に学ぶことができる時代です。
こどもは大人ほど選択肢を知りません。周りの大人が教えてあげるだけでラクになることもあるかと思います。
自分のこの体験が、現在のギフテッド教育に関心を持っている方・改善しようと行動している方の何か一助になれば嬉しいです。
ギフテッドのこどもだけでなく、発達障害のこどもや、平均から離れた位置にいる子もみんなが快適に過ごせる世の中になって欲しいと思います。
自分にできることは多くないですが、少しでも誰かの助けや何か参考になることを発信できたらなと思います。
よろしければ今後もご愛読くださいますと幸いです。