この記事は、ギフテッドチャイルドや平均から離れた特徴や傾向を持つこどもは、想像付かないような考えや行動をする可能性があるよ。というお話です。 変な話だとは思いますが、悲しい話ではないので、気になる方はぜひご覧ください。
「死」につてい考えたことは誰もが経験していると思います。
しかし、その結果、私のような考えに至った方はどれくらいいるのでしょうか。
ギフテッドチャイルド(過去のギフ太)が体験した話をご覧ください。
ちなみに、ギフテッドチャイルドとは「ギフテッドの傾向を持つこども」のことです。 ギフテッドについてはこちらの記事【ギフテッドとは】でご確認できます。
目次
結論から言うと
結論から言うと、「”死”の概念について深く考え過ぎた結果、死んでみても良いのではという考えに至り行動してしまいそうになった」というお話です。
「死んでみても良いのでは?」という考えに至ってしまった経緯
“死”について興味を持ち考えてみた
小学校の高学年くらいの頃でしょうか。あるとき”死”について興味を持った私は深く考え始めてしまいました。
ギフテッドには興味の持ったことについて深く考えてしまうという特徴があると言われております。
私も例に漏れず、一度気になったことは自分の中で結論が出るまで何時間でも何日でも深く考えてしまうタイプの子どもでした。
ギフテッドであろうがなかろうが、誰もが一度くらいは考えたことがあると思いますが、「死ぬってどういうことだろう?」「死んだらどうなるのだろう」ということについて長い時間考えていたのを覚えています。
関連記事:【ギフテッドの特徴について】,【ギフテッドの「知的好奇心」とは「特殊的好奇心」のこと】
答えの見つからない問いに考え疲れた結果
「死とは何か」について考えた人はわかると思いますが、考えたところで答えはでないですよね。
しかし、当時の私は答えが出ないことが嫌でずっと考えてしまいました。
それが、変な考えを生むきっかけになるとは気付かずに…
死んだら無になるから、見つからない答えを探す必要もないのでは?
考え疲れた私が出した結論は「死んだら無になるってことは、死んだらこの見つからない答えを探す必要もないのでは?」というものです。
「いやいや、それは飛躍しすぎでしょ」と感じる方もいらっしゃると思いますが、当時の私は真面目にそう考えていました。
その当時、私は無気力症候群というものになっていたのも関係してか、語弊を恐れずに言うと、特に強く生きていたいという気持ちも持っていませんでした。
無気力症候群についてはこちらの記事【ギフテッド当事者が語る授業の辛さ!私が無気力症候群になった理由】をご参考ください。
誤解してほしくないのは、決して死にたいといった思いがあった訳ではないということです。
ただ、この変な思考を自制するほどの気力もなかっただけだと思います。
その頃はマンションの7階に住んでいたので、ここから落ちたら死ぬのかなと考えたのも覚えています。
とはいえ、当然痛いのは嫌ですし恐怖心も持っています。そのおかげで実際に行動に移すことはありませんでした。
しかし、今考えると恐ろしいのですが、もしそのとき周りに人がいなくて手の届くところに拳銃が置いてあったらとしたら、引き金を引いていたかもしれない程度には真面目に考えていたのを覚えています。
繰り返しますが、よくある自殺の原因のような理由で死のうと考えていたわけではありません。
死に対する興味・疑問からの、おかしな熟考が「実際に死んでみても構わないのでは」というおかしな選択肢を生み出してしまったのです。
ちなみに、その後は紆余曲折を経て、今ではとても人生を楽しめていますので、どうぞご心配なく。
紆余曲折の(人生が好転した)理由についてはこちらの記事【[無気力症候群]やる気ない人間が人生を楽しむようになったきっかけ】で触れております。興味のある方はご覧ください。
極端な結論に至ってしまった原因を考察すると
極端な結論に至ってしまった原因を今の私が考察すると、下記のような3つの原因が考えられます。
- 答えのない問題に答えを求めてしまった
- 無気力症候群の影響&人生経験の浅さ
- 誰かに相談することなく自己完結してしまった
答えのない問題に答えを求めてしまった
1つ目は「答えのない問題に答えを求めてしまった」ということですね。
今の私は答えのない問題なんていくらでもあるということは理解しております。
しかし、当時の私は、生半可に考えるのが得意であったがために、考えれば答えは出るものだと勘違いしていたのだと思います。
それが、このように思い至った原因の1つだと思います。
無気力症候群の影響&人生経験の浅さ
2つ目は、無気力症候群と人生経験の浅さによって、「こんな楽しい人生をわざわざ自分から死ぬなんてありえない」という今の自分が持っている感覚を持てていなかったことも関係しているのかなと思います。
誰かに相談することなく自己完結してしまった
3つ目は、なんでもかんでも自己完結する癖が付いていたということです。
基本的に考え事に対して、誰かに話したり相談をするという発想を持っていなかったのも原因の1つではないかなと思います。
自己完結してしまうことに関しては大人になった今もあまり変わっていないので、もう少し周りの意見も取り入れるよう心掛けようと思います。
親ができること
もし、あのときの自分に親ができることを、自分が親になった今考えてみます。
こどもと何気ない会話も気軽にできる関係を築く
まず、こどもと何気ない会話も気軽にできる関係を築く、というのはできるようにしておきたいなと思います。
当時の私は、わざわざ親にバレないように考えていたということでもないので、「最近何考えているの?」とか聞かれていたら素直に答えていたと思います。
もしそういう会話があったなら、また別の選択肢が生まれていた可能性もあるのかなと思います。
生きていると「こんなにも楽しいことがあるのだよ」と教えてあげる
そしてこちらは絶対にしてあげたいことなのですが、「生きているとこんなにも楽しいことがたくさんあるよ」ということを教えてあげたいです。
ただ、言葉で伝えてもどこまで本質が伝わるかはわからないので、言葉で伝えるよりも親の私が思いっきり人生を楽しんでいる姿を見せるのが1番大事なことだろうなと考えております。
それを見て「死ぬなんてもったいないこと絶対したくない」と思ってもらえたら嬉しいですよね。
お父さんお母さんに伝えたいこと
この記事で伝えたいことは、深く考えるのが好きなこどもが、経験や希望を持たずに考え過ぎてしまうと、ここまでおかしな結論に至ってしまうケースも0ではないよ。ということです。
もちろん、この話は非常に稀なケースではあると思います。
ただ、ギフテッドチャイルドや、平均から離れた特徴や傾向を持つ子どもは、一般的な感覚からしたら理解し難い考え方や行動をとることもあります。
それをお子さんと関わりのある方は、頭の片隅にでも構わないので入れておいて欲しいなと思います。